独立へのきっかけ2-退職決意-

吹雪「僕はいつ生まれるのやら。。。テレビ観て待ってるから終わったら呼んで~」

前回の記事で保護犬との出会いまでを書きました。

保護犬の実態を知ってから、ネットでどれだけ調べたことか、、、
レスキューされたワンコ達のボロボロな姿を見て心が痛んだ回数はもはや数え切れません。
少しでも多くの保護団体さんが動物達を助けてくれるよう、あっちこっち寄付しまくっていたものです。
 

譲渡会で出会った、カッチコチに固まって怯えていたワンコ。
本音を言えば、【あのワンコ】を私の手で幸せにしたい!と非常に強く思いました。
でも当時は、会社勤めの私は日中不在、両親も祖母の介護に付きっきりとなるため、とてもじゃないけど保護犬を幸せにできる環境とはいえませんでした。

痛みや辛さを味わったことがないワンコならば、上記のような家庭環境でも、ワンコと適度に遊びつつ家では自由に過ごしてもらい、構ってほしい時は適度に構いつつ、、、といった形で上手く生活していけるかもしれません。
でも保護犬は痛みや辛さを味わった子がほとんどなので、ワンコの心情を常に気にかける必要があるだろうと思います。
それをすることは、この時点の、我が家の家庭環境では難しいことでした。

結局のところ、「自分に何が出来るか」を考えて行き着いた答えは、この段階では寄付と、譲渡会でのお手伝いくらいしか考えられませんでした。
 

もちろん寄付がなければ保護団体の活動は成り立たない。私が今までやってきた寄付は、一つも無駄になってはいないと思います。
でもやっぱり、私の気持ちはずっと「自分の手でワンコを幸せにしたい」という方向にありました。

譲渡会で出会ったきっかけのワンコも、預かりボランティアさんのブログで様子を見ていました。
少しずつ気持ちがほぐれて人間に甘えていき、最終的には明るいワンコに変身して、新しい家庭に迎えられたところも見ていたのです。
その様子を見て安心したのと同時に、悔しかったのも本音です。
 

そんな時でした。
 

テレビで、カーネル・サンダースを見たのは。
 

、、、、え、カーネル・サンダース?カーネル・サンダースってケンタッキーのあのヒト?何コイツふざけてんの?と思う人も多いかと思いますが、私はいたって真剣です。

カーネル・サンダースがケンタッキー・フライド・チキンを立ち上げたのは60歳をとうに過ぎていたとのこと。
もっと人生をゆるやかに楽に生きることだって出来ただろうに、年を取ってからも様々な活動し続けていたそうです。(Wikiの内容が濃厚すぎて、とても説明しきれません^^;)
 

それに比べて私はまだ30代。ワンコを幸せにしたいと悶々考えてばかりいるけども、実際には全く行動に移していない、口先だけの人間です。

悔しいどころじゃなくて、自分が本当に情けなく、恥ずかしくなりました。
 

私は会社員としての安定した生活を手放すのが、不安で仕方なかったんです。
 

同時に気づいたのは、動物のために何かをしたいと思った今この時に行動しなければ、いつか絶対に後悔するだろうなと。

仮に60歳まで会社員として生活し、定年後に動物のためになる活動を始められたとしても、「あの頃こうすることが出来ただろうな」と振り返ることは絶対にあるだろうなと思ったのです。
 

それから何度も何度も、「本当にやりたいことかどうか」「退職しても後悔はないか」と自問自答をひたすら繰り返し、ようやく退職を決意するに至りました。
 

吹雪「あ、終わったの?ちょっと待って、くりぃむしちゅーの番組観てるから」
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