パールと本当に向き合えるまで


吹雪の最期を振り返れば、たったの2週間でした。
亡くなる2週間前にお散歩中の様子がおかしくなり(元気があまりなくなり)、いつも通っていた動物病院は診察の待ち人数が多かったため、別の動物病院に連絡して夜に診察していただきました。

それをきっかけに吹雪の胸に水が溜まっていることが分かり、毎日のように通院して検査や診察をしてもらいましたが、たった2週間で吹雪の体調は一気に悪くなっていきました。
心疾患のことが分かっても、すっかり体力が衰えてしまった吹雪には手術に耐えられない恐れもあり、いつ突然死してもおかしくないとまで言われました。
その間ずっと、吹雪の側に付き添いながらネットで調べたり、循環器系に詳しい獣医師を調べたり、その獣医師がいる病院に行ったりと、吹雪が良くなる手立てを探し続けていました。

我が家には小鳥も2羽います。
2羽ともヒナの頃は体調を崩しがちで小鳥専門病院に何度も診てもらいましたが、1才を過ぎた頃にはすっかり元気になってくれました。
だから吹雪も、愛鳥たちのように、また元気に復活してくれるだろうという期待を抱いていました。

だから正直、母から『吹雪を抱っこしてベランダから外の空気を嗅がせてあげて』と言われた時は、非常にショックを受けました。
それじゃまるで、死ぬ前提みたいじゃないか、と。

本音をいえば反発したかったのですが、母がきちんと現実を受け止めようとして、吹雪のために今一番出来る事をしようと考えていたのが分からないほど子供ではありませんでした。
だから、本当はイヤだったけれど、吹雪を抱っこしてベランタに出て、ちょっとふざけながらも努めて笑っていました。
『吹雪~いつもワンワン吠えてる近所の子がいないね~いつもならワンワン聞こえるのにねぇ~もう夜だからかな~』なんて意味不明なことを話しかけていた気がします。いつも通りのようでいつも通りじゃないやり取りでした。
今思い返せば、あの時の吹雪は鼻を動かして周囲をきょろきょろしていました。
聞こえていたか見えていたかも分からないけど、外の空気を嗅がせてあげたのはきっと良かったのだろうと今は思います。

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吹雪の旅立ちは、突然で、本当にあっという間でした。
呼吸はなかなか安定せず、時々吠えては落ち着いたりを繰り返していたのが、突如、吹雪が大きく一声啼いて、次にはもう吹雪の動きは止まっていました。。。
胸が上下してなくて、一瞬呆然として、ようやく口から出てきたのは「吹雪、もう終わりなの?」という言葉でした。
咄嗟に出てきたのがこんな台詞。。。他にもっと言うことがあるだろうに、我ながら呆れます。。。
「ありがとう」と言えたのは、数十秒後だか数分後だったかと思います。
 

その後しばらくは眠る吹雪を見ながらボーッとしていましたが、お世話になった人達に報告しなきゃと、なぜだかそれだけは冷静に考えてました。
保護団体のWonderful dogsさんやドッグトレーナー、兄弟と親戚、LINE仲間、インスタ仲間とか諸々ひたすら、スマホをいじって打ち込んでいることで「無」になる時間を避けてた気がします。

翌日すぐに、ドッグトレーナーが駆けつけてくれました。
つい数日前にも吹雪に会いに来てくれて、フラフラになりながらも吹雪が尻尾を振ってトレーナーのところへ近付いていった姿を思い出しました。

吹雪を見て呆然と立ち尽くしたトレーナーの姿は、多分ずっと忘れられないだろうなと思います。
同時に、1カ月以上吹雪を合宿トレーニングで預かってくれたことがあるトレーナーだから、きっと吹雪のことをずっと忘れないでくれるだろうと、なんとなく救われる思いもありました。
そのドッグトレーナーは、吹雪の四十九日あたりに、わざわざお墓参りまでしてくれました。トレーナーの愛犬が吹雪のお墓の側で立っている写真が送られてきた時、どれだけ嬉しかったことか。。。
新しい愛犬を迎えることになったらまたこの人にトレーニングをお願いしよう、と決めていました。
 

吹雪が亡くなってから、数え切れないほど優しい言葉に励まされました。
お花をくれたり、吹雪の写真を加工デザインされたカードをくれたり、吹雪の名入りキーホルダーをくれたり。。。
それなのになんで気持ちが整理しきれないのか、自分でも不思議でした。
ここまで動物に入れ込みすぎていいのかなと、自分で自分が心配にもなりました。
昔おじいちゃんが亡くなった時だってこんなに引きずらなかったぞ、私、なんかおかしいんじゃないか、これが普通なのかな、いややっぱりおかしいのかな、、、とグルグル考え続けていました。

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実は、吹雪が亡くなってから2週間後くらいに、メールでアニマルコミュニケーションの依頼をしていました。
半年前にアニマルコミュニケーションの基礎クラスを受講したことがあり、スクールの講師がメールセッションでアニマルコミュニケーションの依頼を受け付けていることを思い出したのです。
吹雪が亡くなる前後には、アニマルコミュニケーションを一緒に受講したクラスメイト達が助けてくれたおかげで気持ちが落ち着いた経緯もあり、講師に対話を申し込んだらまた落ち着くきっかけを得られるだろうかと思いました。

結果として、気持ちが落ち着いたのは一時期的だったかもしれません。この時はメールセッションだったからかなと思います。
1月中旬、講師の来日に合わせて直接アニマルコミュニケーションを申し込める機会があったので、再び吹雪との対話をお願いしてみました。

『アニマルコミュニケーション』を信じるかどうかは人それぞれですが、私はどちらかというと中間の立場なのだろうと思います。
だからスクールを修了してからも、動物とコミュニケーションが出来たという瞬間を、まだ味わえていません。(思い入れのあるお寺や神社をお参りするくらいにはスピリチュアルなことに肯定的ではあると思うのですが…)
でもこの時、講師のローレン・マッコール先生と直接会い、直接お話を聞けたことが、自分の気持ちが前に進むきっかけに繋がったのかもしれません。

対話セッションをしていただいた後、いかがでしたか?と聞かれ、私はローレン先生に一つだけ質問をしました。
「吹雪はたった1才で亡くなってしまいましたが、先生から見た吹雪は、短くても満たされた人生を送れていたと思いますか?」と。
返ってくる言葉はもちろん肯定だと分かっていましたし、実際、先生からの回答は肯定でした。
ただ、どう答えてくれたかが、私にとってとても重要だったのだと思います。

ローレン先生は、「吹雪は、とても短い時間にとても沢山の人生を凝縮して過ごしたように思っている。つまり短い間に人生の全てを生きたと感じているということ」と言ってくれました。
それを聞いて、きっと動物は皆そうやって凄い速度で人生の全てを生きているんだろうなぁとしみじみ感じまして。
なら今度はパールの人生だなぁ、パールはまだまだ怖がりだから充実している日々とはいえないだろうし、しっかりきちんと、今度こそ向き合わないとなぁと。
頭が晴れたのかスッキリしたのか、ようやく前向きなことを考えられるようになりました。
(犬の一生って「人生」でいいのかな?「犬生」なのかな?)

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私にとっては非常に時間がかかりましたが、前進するきっかけをようやく得られたように思います。
ブログにここまで長々と綴ったのは、自分の気持ちを内側に溜め込まず、きちんと外側に示すことが私にとって必要な工程でした。
一個前の記事とあわせて書き溜めていたのですが、ようやくまとめられたかなと思います。

今度こそ頑張ります。
関わってくれた皆、本当にありがとう。
これからも宜しくお願いします。
 

°˖✧ パール & 吹雪 ✧˖°
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